わたしの経歴。
その1:育った環境
わたしが育った家庭がですね、中流とか下流とか、そんなレベルではなくて
とにかく幼い頃から究極のビンボーだったんですよ
ウチは女ばかりの三姉妹、わたしは長女
親はずっと共働き
父は未だに何をしていたのかよくわかりませんが、ギャンブル大好き借金王
母は耳鼻科外来で看護助手をしておりました
そうです、父の作った借金を、母が子育てしながら働いてコツコツ返していたのです
そこは父と母の関係性だから別にいいんですけど(実はよくなかった)、とにかくビンボーだったのでバブリーな時代も食べるものがない!ってのを経験させてもらえました
父は勤めていた親戚の会社から独立開業
でも従業員と母に仕事を任せっぱなしで、そのうち仕事もせず雀荘に通い始め、気づけばあちこちに借金だらけ
とうとう三年で会社を潰しました、時間の問題だったけど
そんな時にわたしは高校卒業を控え
海外留学の夢も呆気なく崩れ
『何をしようかな…、就職したいところなんてない…』
と思っていたところに母のひと言
『看護師さんになったら?准看だと住み込みで学校に行けるみたいだよ?』
…ということで
なんの目標もなかったわたしは
母に勧められるまま病院を探し、准看の学校に入学したのでした
その2:准看護師から看護師へ
どうにかこうにか産婦人科に看護助手として住み込みで働き、朝6:30〜12:40まで仕事、13:30〜17:30まで学校
その間、行動は全て制限され監視され休みなし
全日休みは月に一度あるかないか
夜勤をやったり休日出勤をこなしながら
何とか2年で卒業して准看護師になりました
寮を出た時の開放感たらハンパなかったけど
スタッフも患者さんも女ばかりの職場
当然のように陰湿なイジメは多かったと思います
そしてスタッフ全員が准看護師
狭い世界で毎日同じことの繰り返し
だんだんと嫌気がさしてきました
『あのやろー、こんなにわたしを虐めおって!看護師になって絶対見返してやる!』
ってことで、お礼奉公(卒後2年働くと奨学金返還不要)を終えて、進学するために札幌の病院に転職して予備校に通い始めました
一年働きながら予備校で勉強して何とか進学
この学生時代こそ、わたしの人生で一番勉強して一番辛くて一番頑張った2年間だと思います(学校帰りにいつもススキノで飲んでたけど)
卒業して看護師資格を取得した後
6年お付き合いしていた男性と結婚して、転勤先の茨城県に移住しました
その3:子育てと家事と仕事の日々
結婚後、長男を出産
院内託児所のある病院で働きながら、次男出産
その後は子育てと両立しやすい職場を転々としながら長女が生まれ、自分の忙しさはマックスに!
三人育てながら仕事して家事やって…
あの時はほぼ気力で動いていました
寝る暇も自分の時間もない
もともと趣味がなかったからストレスをどう発散していいのかわからない
転勤先で親戚も知り合いもいなくて、夫婦二人で働きながら子育てをするってとても大変
夜勤も旦那さんに負担をかけるので訪問看護の仕事に変えました
仕事を辞めたくても、もう辞めることも出来ないところまで追い詰められていました
仕事を辞めたら子供たちの保育園を変えなければならない
何とか二人で働いてそこそこの生活が出来ているのに、仕事を辞めたら今の生活水準が下がってしまう
でも寝る暇ない、遊びにも行けない、ストレスはたまる一方
そこで、とうとう鬱を発症してしまったのです
その4:強制終了
ある朝、
小学校に通う長男と次男を送り出し
長女に朝ごはんを食べさせて
さて仕事に行こうか、と思ったら
急に椅子から立ち上がれなくなりました
椅子にお尻がくっ付いた感じと表現したら良いのでしょうか
しかも自分では全く気がついていませんでしたが、涙を流しながら長女にご飯を食べさせていたようなのです
それを見た主人が慌てて職場に電話
『今日精神科に連れて行くから休ませてくれ』と
自分でも驚きました
自分の感情すら感じられなくなっていたのです
ここから、長い闘病生活が始まりました