わたし、看護師やめたわ。

看護師と患者、両立の立場を経験してわかったこと。

気持ちわる、自分。

 

ですます調で書くのは前記事まで

書いてて途中で心が折れそうになるくらい気持ち悪い過去だ

途中でやめようかと思ったけど、始めたのだから振り返らんとねー

何とか書いて読み直す

 

客観的に見てみました

 

このオンナ、バカじゃね?

読みながら薄ら笑いしてる自分に気づく

 

さて、過去の自分の問題点を出してみよう

 

①言いたいことが言えない、すぐ周りにいい顔する

 

子育てや家事、仕事が辛いことを旦那に言えなかった

自分さえ我慢すればこの生活は続くと勘違い

彼にお金を無心されても気づかない

自分名義の借金がどんどん増えていく

でも言えない

いつか彼も変わってくれるだろう、言わなくてもわかってくれるだろう

これまた勘違い

 

②外に原因があると思い込み、自分を正当化

 

心配事だらけの毎日

お金、健康、DV、逃げ出せない自分

薬を飲めば鬱が治って、また頑張れると勘違い

頑張る方向間違ってるわ

鬱だと楽なのよ、周りが心配してくれるから

都合よく自分を解釈してた、マジあほ

 

とりあえず思いつくのはこの2点かな

10年前の自分に会えたら言ってやりたいわ

『自分の思うように生きてみろ』って

 

子供の頃から我慢に慣れてたし、父親の借金を昼夜寝ないで働いて返してた母親がお手本だったんだね〜

あんなのいいわけない

今なら母親にハッキリ言えますよ

この前会った時に言いました

『お母さん気づいてないと思うけど、ダメンズメーカーだからね』って

母親はこう返しました

『だってぇ、やってあげたいんだもん』

 

それ、ただの自己満足じゃね?エゴっての?

その人の問題は外から解決しようとしても解決できんのよ

人の宿題を他人がやってるようなものでしょ

いつまで経っても力付かんわ

自分に出来るのは、ただ黙って生温く見守ることだけよ?

 

そっくりそのまま自分にも言ったけど(恥

 

でも自分はこの10年で何とか気がつけたわけですよ

母親は72歳だからね

未だに気づいてないの

今度は妹と孫をダメにしようとしてる

別にそれがダメって言ってるわけじゃあないのよ

彼女が決めて選んできた人生だもんね

今世で気付けるといいね☆としか言いようがないわ

 

 

それでね、そんな自分の馬鹿さ加減に気づいた頃

掌蹠膿疱症を発症したんですわ

初めは右足の内踝のあたりに膿疱が出始めて

ステロイド塗っても抗菌剤塗ってもなかなか良くならない

そのうち黄色いカサブタが出来て、痒いし見た目悪いし、ナニコレ!とか思ってたの

それがほっといたら半年くらいでなくなって

その一年後に左の鎖骨がすごく痛み出した

 

寝てても起きてても痛い

ズキズキする

左腕が上がらない

そのうち肩甲骨や胸骨まで痛み出す

後ろ振り向けない、前にあるものに手が伸ばせない

段々と日常生活に支障が出てきて痛み止めは増える一方

これも脳みそに作用する薬でさ

痛みにも波があるから、痛いときはよく効いてるんだけど

痛みが弱くなった時に副作用が出てくる

ぼーっとするから指示受けしたか記憶が飛んでわからなくなる

急に嘔吐する

 

ヤバい…このままじゃ看護師出来なくなる

看護師出来ないと生活していけない

そう思いながらもどんどん症状は進行して、夜勤もままならなくなって

結局8年勤めた病院を退職ですよ

えー、ナニコレ、まだクリアしてない課題あんの?

なんだなんだ?

と思いながら、声をかけてくれた訪問看護ステーションの管理者に転職

そしたら、現場の業務をしないだけで症状が落ち着いて来た

あ、現場はもう無理なんですね〜

 

ところが

新規で立ち上げた訪問看護ステーション

管理業務がわんさかある

わたし、休みほとんどなし

何かあれば社長に呼ばれて経営の相談されて

全く自分の仕事が進まない

現場はスタッフにお任せしていたのだけど

気づけば8人いた看護師が半分になり

日曜勤務や早番出来ませーん、なんて条件付きの人ばかりが残った

結局現場に出ながらの管理業務

社長にもう無理だと訴えても何も変わらない

 

うーん、わたし言いたいこと言えたよ?

我慢してない

自分の働きやすいように調整してみた

でもマンパワー不足がそれを許さない

結局、元の木阿弥

関節炎が悪化し始めて、このままじゃわたし過労死するかもしれん、と怖くなって退職ですよ

 

 

とうとう看護師さん出来なくなっちゃった…

やべえ