わたし、看護師やめたわ。

看護師と患者、両立の立場を経験してわかったこと。

わたしの経歴。其の弐

その5:治療開始と転勤

 

わたしは翌日予約の取れた地元で有名な女医のいる心療内科に受診しました

 

病名は『抑うつ神経症

ナニソレ

全く意味わかんない

そのまま休職して、服薬を開始して、毎日子供達を学校と保育園に送り出した後はずっと眠っていました

今までほとんど眠れなかった7年間を取り戻すように

家事をしている時以外はほとんどベッドで過ごす毎日

 

処方された薬が効いてきたのか

徐々に元気になり(まやかし)、そのうち社会から取り残されている感じが強くなり焦ってきました

女医は『ガソリンが切れていては走れないから、何も考えずにまだゆっくり休んで』と

そうして一年半が過ぎ、主人の会社の計らいで北海道の地元に転勤になりました

 

そこから病院が変わり、薬も変わり

なぜか地元に戻れたはずなのにどんどん悪くなる一方

でも義両親がいたので、リハビリのつもりでパートの仕事に出てみることにしました

やっと社会と接点が持てる

自分にも生産性がある

そう思う反面

どんどん具合が悪くなり、どうして良いかわからず

パートから戻るとお酒を飲むようになっていきました

ほぼアル中

家でも外でも関係なく多量にアルコールを摂取し出し、子供に暴力を振るうようになりました

子供と一緒にいるとイライラして当たってしまう

わたしにも子供にも良くない

そのうち家に帰るのが嫌になり朝帰りの連続

とうとう別居をすることになってしまいました

子供は主人が連れて実家に戻り、わたしは慌ててフルタイムで働ける病院を探しアパート暮らし

 

子供を連れていかれた時

両手両足を捥がれる感覚と同時に安堵の気持ちがやって来ました

子育てが上手く出来ていない自分に辟易していたのです

 

その6:離婚とヒモ男

 

別居してからは少しずつ職場にも慣れ

主人とも子供とも休みの日に会えるようになりました

でも服薬の量とアルコールは増える一方

頭の中がうるさくて仕方がないのです

 

そのうち解決の糸口が見つからないまま離婚

また自分の不甲斐なさに嫌気がさしました

その頃に7歳年下の男性とお付き合いすることに

彼は結婚していましたが、奥さんが子供を連れて実家に帰ったまま6年も別居生活をしていたのです

 

これじゃ不倫よね

と思いながらも、交際は続き

実家暮らしの彼はわたしのアパートに入り浸るようになりました

 

その頃からです

彼がわたしにお金を貸してくれと言うようになってきました

初めて貸したお金は60,000円

約束の期日までに返済がなく、催促してやっと帰って来る始末

二度と貸さないでおこう

そう思っていたら、彼は毎月のようにお金を無心してくるようになりました

 

必ず返すからと言いながら

どんどん渡すお金は増えていき

自分のお給料では賄いきれなくなり、人生初のキャッシング生活が始まりました

彼のお金の使い道は、わたしの嫌いなギャンブル

渡さないでいると闇金から借りて、わたしに返しに行けと

貸したくない、渡したくない、でも言えない

結局、現金で渡さない生活費なども入れると、総額200万以上のお金を使っていました

 

ここでやっと気付きました

この人、父親と同じ事してるって

でも好きだったから離れられませんでした

今思えば自分は相当病んでいたのだと思います

お金を渡さないと捨てられる、と

 

でもわたしは彼と離れたくて、自分で家を建てて母親を呼んで暮らし始めました

弁護士に相談してキャッシングで作った借金は債務整理をして、3年かけて返しました

 

やっと、彼にお金を渡さなくなった頃

今度は彼からの執拗な嫌がらせが始まりました

メールで罵倒

家の周りで待ち伏せ

呼び出されて行かないと、わたしの身内の名前を出してきて脅す(子供や元旦那など

 

怖いけど誰にも言えず、良くなりかけていた鬱が悪化し始めました

こんなに振り回されているのに逃げ出せない

医者にも相談できず、眠れない日が増えていき

薬もどんどん増えていきました

死にたくなる時が増えてきて、一度オーバードーズで救急搬送

鬱発症から7年、何も変わらない毎日

 

どうしたらいいのかわからない

脳みそが一日中フル回転

とにかく頭の中が忙しくてうるさくてどうにも出来なくなりました

『先生、頭の中がガチャガチャとうるさいんです。どうしたら静かになりますか?』と尋ねた時に

『少し安定剤を増やして様子を見ましょう』と

 

既に飲んでいる薬は

抗うつ薬と安定剤2種類と睡眠導入剤

減るどころか、まだ増えるのか!と思った時に

 

『もう薬を飲むのはやめよう』

急にそう思い始めました

それまでの7年間、一度もそんな風に考えた事なかったのに

全部鬱のせいにして自分の人生から逃げていたんじゃないかと思い始めたのでした

 

 

その7:断薬とシャンビリ

 

次の受診日、先生に思い切って話してみました

『鬱の薬をやめます』と

 

先生は、長年飲み続けてきたからゆっくり減らしていかないと…と仰いましたが

もうやめたい時にやめないと!と自分の意思は変わらず、バッサリとやめました

自分の脳みそが長い間薬に支配されていたのかもしれないという恐怖

やめた時に出る症状よりも、そっちの方が怖かった

次に漢方内科を受診して事の経緯を話し、漢方薬での治療に切り替えたのです

 

そこからの症状は

耳の中でシャンシャンと音がする

これは常に聞こえていました

静かだと余計に気になります

そして、指先や唇が急にピリッと

痛いわけではないけれどとても不愉快

それが一年ほど続きました

また薬を飲めば楽になる

でも怖くて飲めない

そんな毎日を過ごして、いつの間にかそのシャンビリがなくなりました

 

そして彼からの罵倒や嫌がらせも続いていましたが、段々と気にならなくなってきました

それでもお金の無心は続きます

キッパリ断るようになると、それもなくなっていきました

 

 

その7:復活と掌蹠膿疱症

 

くだらない男

ずっと離婚を希望をしていた嫁に同意し、彼も独り身になりました

なぜこんな男といつまでも一緒にいるんだろう?

自分に原因があるな

何故だろう、何なんだろう

彼と出会ってずいぶんと自分の人生が狂ってしまった、そう思うしか自分を慰める手段がありませんでした

 

その頃、一緒に住んでいた母親は妹と暮らすために札幌に

長男が高校進学のためわたしと同居

 

そして

次に新たに病気を発症

掌蹠膿疱症掌蹠膿疱症性骨関節炎』

女優の奈美悦子さんがメディアで公表してちょっと有名になりましたね

この関節炎の痛みが強くて、看護師の仕事が辛くなり始めました

相当強い痛み止めを飲みながらの看護師業務

痛む時は後ろを振り返ることもできない

歩くのも辛い

腕を上げられない

夜も痛みで眠れない

とうとう、一昨年の冬、看護師リタイアです

家庭どころか、仕事までなくしてしまいました