わたし、看護師やめたわ。

看護師と患者、両立の立場を経験してわかったこと。

心地よい自分スタート。

 

妹が札幌から迎えにきて整体へ

ここの先生がとにかく怪しい

スピ隠してるけどダダ漏れなのだ

 

自分も中学生くらいの時から、他の人が感じないものが見えたり聞こえたり、自分の体から抜けたり、人の体のまわりに色がついてるのがわかったり、言ってることと考えてることが違うのとかもわかったり、ってのが日常になって

病院勤めの時なんて、病院にそういうお方(?)がうっじゃうじゃ普通にいるものだから慣れちゃって

最近ではコントロール出来るようになったから、見たくないって思ってたらいつの間にか見えなくなってたの

 

ま、それはどうでもいいから置いといて

ここの先生が結構面白くて

学校で教えてもらった整体の手技は全く役に立たないんですと

自分の感覚だけでちゃっちゃと歪みを治していく、みたいな

しかもバキバキやらないし

動かすのは骨盤と頚椎くらいじゃないかな

そして、そこで導入してる超音波の器械がスゴいらしくて

それをあてながら整体すると歪みにくくなるんですわ

だから、毎週とか通わなくても大丈夫

早く病気を治したい、とか

早く痛みを取りたい、とか

そういう人は小まめに通ってるみたいだけど

わたしは遠いのもあってひと月に一度くらいかな

 

で、この器械

名前は出さないでおくけれど、ウチの末期の乳がんだったおばが購入して毎日使ってたら

花が咲いてた腫瘍が綺麗になくなっちゃったんですわ(皮膚を突き破ってがん細胞が出てくる

消えたの、腫瘍が

お医者が『手術も抗がん剤も適応にならない末期ガンです』って見放したおばが

発症から6年、元気に生きてました

痛みがないから、普通に生活してたよ

この前亡くなったけど、老衰です

 

 

で、それをわたしも受けに毎月通ってたんですわ

4ヶ月通ったかな?

骨の痛みが楽になりました

ひどい疼痛発作の時は、ロキソニンだけじゃ効かなくてボルタレン座薬も併用して

それでも三時間くらいしか効果がなかったくらいだったのに

ロキソニンも飲まなくていいくらいまで良くなって

 

それから、漢方薬局の漢方も年末から飲み始めてみたの

そこからまた一気に快方に向かって

今は手足の水疱も膿疱もほとんど出なくなりました

もう漢方もビオチンも飲んでません

 

 

この間、お医者にかかっても

ロキソニンの処方があるだけで

根本的な解決には何もなってなかったわけです、ビオチン療法も含めて

 

ここからかな

病院に行くことで解決(治癒)を遅らせてるんじゃないかな?って考えたの

 

断食も

ミネラルも

整体も

漢方薬

自分の自己治癒力を上げるもの

西洋医学の対症療法とは違う視点で治して行くって感じなんだよね

 

今じゃ長年低かった体温は1度上がって37℃を切るくらい

インフルにもなりゃあしない、風邪すら引かなくなってきた

 

 

何が良かったのかね

選んできた全てが良かったと思いたいくらい

 

ストレスがなくなったことも大きいだろうか

今が心地よすぎて、いつまでも無職でいたいくらいだわ

気持ち悪い自分→心地よい自分へ。

 

で、一昨年の11月いっぱいで仕事を辞めて自宅療養開始

すでに一年と5ヶ月(517連休

現在に至る

 

まず仕事を辞めてから、痛み止め全てをやめてみた

しばらくは悶絶するほどの痛み

それでも仕事をしていないので余計なストレスがない

当時一緒に暮らしていた次男の世話以外はひたすら眠る日々

傷病手当も受給できて不労所得ゲット

当初の自分の予定では、痛み止めを飲まなくても疼痛コントロールがつけば、春からでも体慣らしに軽く働きに出てみようと考えていた

 

甘かった

 

当時わたしは

病院での治療に疑問を抱き始めていた

猜疑心、うん、これこれ

働いていた時も違和感バリバリあった

医者の考え方ひとつで全然変わる治療法

こんな状態の人にこんな治療???って、患者さん見てて思うことも多々あり

もちろん自分も例に漏れず、鬱の時は危なく薬漬けにされるところだった

 

わたしは掌蹠膿疱症性骨関節炎になってから5年間、1日3回のロキソニン(3回じゃ済まないこともアリ)、他に脳に作用するような神経の薬を飲んでいて

体に薬が蓄積しまくっていると気になっていた

 

まず手始めに断食

軽く始めてみようと思っていたら、3日も過ぎれば空腹感がなくなってくる

そして3日目から、恐ろしいくらいのデトックスが始まった

痰、鼻水、目やに、体臭、口臭、ドロっとした尿、すごい臭いの便

ナニコレ!!!怖いんですけど!!!

なんか出とる、なんかワシの体から出とる!

恐怖におののきながら続けて5日目、何もなかったかのように普通に戻り、断食終了

 

そして、もともとアルコール大好き♡タバコ大好き♡オンナだったので

3月からアルコールとタバコもやめてみた

それと同時に飲み始めてみたのが『フルボ酸ミネラル』

人の体にはミネラルは必要なものだし、体内で作れないなら飲んでみようかと、そんな安易な考えで始めてみたら…

 

まず、水疱と膿疱が手足にアホみたいに出てきた

水も触れない

水に濡れると水疱と膿疱がうるけて破れてしまう

その後の痛みって、本当に嫌がらせかと思うほどチクチクピリピリと

歩くのも大変

足裏を床につけると乾いた皮が破けて痛むのだ

家の中は剥がれ落ちた落屑がそこら中にフケのように舞っていた

買い物に行っても掌を見せるのが嫌で行けなくなった

風呂も意を決しないと入れない

幸い、次男は四月から就職して半年間札幌に新人研修に行ったので

わたしは自分のことだけをやればいい状態だった

 

そこで終わればいいものを

今度は関節炎の痛みが悪化して来た

鎖骨、肩甲骨、胸骨、肋骨、頚椎、下顎骨、上腕骨、仙腸関節、大腿骨

結局のところ、動くと全身が痛い

あっちを庇えばこっちが痛み、黙っていても声が出るほど痛む

陣痛かと思ったわ

寝られない、立ち上がることもできない、座ったら動けない、腕も上がらない

出来たのはトイレだけ

それもすごく時間がかかる

一度トイレで立ち上がれなくなり、お尻丸出しのまま倒れて一時間動けなくなったことがある

誰もいないから呼べない、救急車呼んでも玄関の鍵が開けられない

這ってリビングまで行ったよ

他にも出来ないことたくさん

飼っている犬猫のトイレの掃除もなかなか出来なかった

しゃがむことも出来ない、一度しゃがんだら立ち上がることが出来ない

何日もソファに座ったまま眠った

でも何故か、あんなに酷い鬱を経験したのに、メンタルだけは丈夫だった

 

それを心配して、札幌から妹が迎えにやって来た

とりあえず、整体のいい先生がいるから行ってみよう

癌やアトピーの人も治った人いるみたいだから、って

 

それがちょうどお盆の頃

わたしは半年近くも一人で痛みに耐えていたことになる

 

メンタル強っ!鋼!!!

 

 

 

 

 

気持ちわる、自分。

 

ですます調で書くのは前記事まで

書いてて途中で心が折れそうになるくらい気持ち悪い過去だ

途中でやめようかと思ったけど、始めたのだから振り返らんとねー

何とか書いて読み直す

 

客観的に見てみました

 

このオンナ、バカじゃね?

読みながら薄ら笑いしてる自分に気づく

 

さて、過去の自分の問題点を出してみよう

 

①言いたいことが言えない、すぐ周りにいい顔する

 

子育てや家事、仕事が辛いことを旦那に言えなかった

自分さえ我慢すればこの生活は続くと勘違い

彼にお金を無心されても気づかない

自分名義の借金がどんどん増えていく

でも言えない

いつか彼も変わってくれるだろう、言わなくてもわかってくれるだろう

これまた勘違い

 

②外に原因があると思い込み、自分を正当化

 

心配事だらけの毎日

お金、健康、DV、逃げ出せない自分

薬を飲めば鬱が治って、また頑張れると勘違い

頑張る方向間違ってるわ

鬱だと楽なのよ、周りが心配してくれるから

都合よく自分を解釈してた、マジあほ

 

とりあえず思いつくのはこの2点かな

10年前の自分に会えたら言ってやりたいわ

『自分の思うように生きてみろ』って

 

子供の頃から我慢に慣れてたし、父親の借金を昼夜寝ないで働いて返してた母親がお手本だったんだね〜

あんなのいいわけない

今なら母親にハッキリ言えますよ

この前会った時に言いました

『お母さん気づいてないと思うけど、ダメンズメーカーだからね』って

母親はこう返しました

『だってぇ、やってあげたいんだもん』

 

それ、ただの自己満足じゃね?エゴっての?

その人の問題は外から解決しようとしても解決できんのよ

人の宿題を他人がやってるようなものでしょ

いつまで経っても力付かんわ

自分に出来るのは、ただ黙って生温く見守ることだけよ?

 

そっくりそのまま自分にも言ったけど(恥

 

でも自分はこの10年で何とか気がつけたわけですよ

母親は72歳だからね

未だに気づいてないの

今度は妹と孫をダメにしようとしてる

別にそれがダメって言ってるわけじゃあないのよ

彼女が決めて選んできた人生だもんね

今世で気付けるといいね☆としか言いようがないわ

 

 

それでね、そんな自分の馬鹿さ加減に気づいた頃

掌蹠膿疱症を発症したんですわ

初めは右足の内踝のあたりに膿疱が出始めて

ステロイド塗っても抗菌剤塗ってもなかなか良くならない

そのうち黄色いカサブタが出来て、痒いし見た目悪いし、ナニコレ!とか思ってたの

それがほっといたら半年くらいでなくなって

その一年後に左の鎖骨がすごく痛み出した

 

寝てても起きてても痛い

ズキズキする

左腕が上がらない

そのうち肩甲骨や胸骨まで痛み出す

後ろ振り向けない、前にあるものに手が伸ばせない

段々と日常生活に支障が出てきて痛み止めは増える一方

これも脳みそに作用する薬でさ

痛みにも波があるから、痛いときはよく効いてるんだけど

痛みが弱くなった時に副作用が出てくる

ぼーっとするから指示受けしたか記憶が飛んでわからなくなる

急に嘔吐する

 

ヤバい…このままじゃ看護師出来なくなる

看護師出来ないと生活していけない

そう思いながらもどんどん症状は進行して、夜勤もままならなくなって

結局8年勤めた病院を退職ですよ

えー、ナニコレ、まだクリアしてない課題あんの?

なんだなんだ?

と思いながら、声をかけてくれた訪問看護ステーションの管理者に転職

そしたら、現場の業務をしないだけで症状が落ち着いて来た

あ、現場はもう無理なんですね〜

 

ところが

新規で立ち上げた訪問看護ステーション

管理業務がわんさかある

わたし、休みほとんどなし

何かあれば社長に呼ばれて経営の相談されて

全く自分の仕事が進まない

現場はスタッフにお任せしていたのだけど

気づけば8人いた看護師が半分になり

日曜勤務や早番出来ませーん、なんて条件付きの人ばかりが残った

結局現場に出ながらの管理業務

社長にもう無理だと訴えても何も変わらない

 

うーん、わたし言いたいこと言えたよ?

我慢してない

自分の働きやすいように調整してみた

でもマンパワー不足がそれを許さない

結局、元の木阿弥

関節炎が悪化し始めて、このままじゃわたし過労死するかもしれん、と怖くなって退職ですよ

 

 

とうとう看護師さん出来なくなっちゃった…

やべえ

わたしの経歴。其の弐

その5:治療開始と転勤

 

わたしは翌日予約の取れた地元で有名な女医のいる心療内科に受診しました

 

病名は『抑うつ神経症

ナニソレ

全く意味わかんない

そのまま休職して、服薬を開始して、毎日子供達を学校と保育園に送り出した後はずっと眠っていました

今までほとんど眠れなかった7年間を取り戻すように

家事をしている時以外はほとんどベッドで過ごす毎日

 

処方された薬が効いてきたのか

徐々に元気になり(まやかし)、そのうち社会から取り残されている感じが強くなり焦ってきました

女医は『ガソリンが切れていては走れないから、何も考えずにまだゆっくり休んで』と

そうして一年半が過ぎ、主人の会社の計らいで北海道の地元に転勤になりました

 

そこから病院が変わり、薬も変わり

なぜか地元に戻れたはずなのにどんどん悪くなる一方

でも義両親がいたので、リハビリのつもりでパートの仕事に出てみることにしました

やっと社会と接点が持てる

自分にも生産性がある

そう思う反面

どんどん具合が悪くなり、どうして良いかわからず

パートから戻るとお酒を飲むようになっていきました

ほぼアル中

家でも外でも関係なく多量にアルコールを摂取し出し、子供に暴力を振るうようになりました

子供と一緒にいるとイライラして当たってしまう

わたしにも子供にも良くない

そのうち家に帰るのが嫌になり朝帰りの連続

とうとう別居をすることになってしまいました

子供は主人が連れて実家に戻り、わたしは慌ててフルタイムで働ける病院を探しアパート暮らし

 

子供を連れていかれた時

両手両足を捥がれる感覚と同時に安堵の気持ちがやって来ました

子育てが上手く出来ていない自分に辟易していたのです

 

その6:離婚とヒモ男

 

別居してからは少しずつ職場にも慣れ

主人とも子供とも休みの日に会えるようになりました

でも服薬の量とアルコールは増える一方

頭の中がうるさくて仕方がないのです

 

そのうち解決の糸口が見つからないまま離婚

また自分の不甲斐なさに嫌気がさしました

その頃に7歳年下の男性とお付き合いすることに

彼は結婚していましたが、奥さんが子供を連れて実家に帰ったまま6年も別居生活をしていたのです

 

これじゃ不倫よね

と思いながらも、交際は続き

実家暮らしの彼はわたしのアパートに入り浸るようになりました

 

その頃からです

彼がわたしにお金を貸してくれと言うようになってきました

初めて貸したお金は60,000円

約束の期日までに返済がなく、催促してやっと帰って来る始末

二度と貸さないでおこう

そう思っていたら、彼は毎月のようにお金を無心してくるようになりました

 

必ず返すからと言いながら

どんどん渡すお金は増えていき

自分のお給料では賄いきれなくなり、人生初のキャッシング生活が始まりました

彼のお金の使い道は、わたしの嫌いなギャンブル

渡さないでいると闇金から借りて、わたしに返しに行けと

貸したくない、渡したくない、でも言えない

結局、現金で渡さない生活費なども入れると、総額200万以上のお金を使っていました

 

ここでやっと気付きました

この人、父親と同じ事してるって

でも好きだったから離れられませんでした

今思えば自分は相当病んでいたのだと思います

お金を渡さないと捨てられる、と

 

でもわたしは彼と離れたくて、自分で家を建てて母親を呼んで暮らし始めました

弁護士に相談してキャッシングで作った借金は債務整理をして、3年かけて返しました

 

やっと、彼にお金を渡さなくなった頃

今度は彼からの執拗な嫌がらせが始まりました

メールで罵倒

家の周りで待ち伏せ

呼び出されて行かないと、わたしの身内の名前を出してきて脅す(子供や元旦那など

 

怖いけど誰にも言えず、良くなりかけていた鬱が悪化し始めました

こんなに振り回されているのに逃げ出せない

医者にも相談できず、眠れない日が増えていき

薬もどんどん増えていきました

死にたくなる時が増えてきて、一度オーバードーズで救急搬送

鬱発症から7年、何も変わらない毎日

 

どうしたらいいのかわからない

脳みそが一日中フル回転

とにかく頭の中が忙しくてうるさくてどうにも出来なくなりました

『先生、頭の中がガチャガチャとうるさいんです。どうしたら静かになりますか?』と尋ねた時に

『少し安定剤を増やして様子を見ましょう』と

 

既に飲んでいる薬は

抗うつ薬と安定剤2種類と睡眠導入剤

減るどころか、まだ増えるのか!と思った時に

 

『もう薬を飲むのはやめよう』

急にそう思い始めました

それまでの7年間、一度もそんな風に考えた事なかったのに

全部鬱のせいにして自分の人生から逃げていたんじゃないかと思い始めたのでした

 

 

その7:断薬とシャンビリ

 

次の受診日、先生に思い切って話してみました

『鬱の薬をやめます』と

 

先生は、長年飲み続けてきたからゆっくり減らしていかないと…と仰いましたが

もうやめたい時にやめないと!と自分の意思は変わらず、バッサリとやめました

自分の脳みそが長い間薬に支配されていたのかもしれないという恐怖

やめた時に出る症状よりも、そっちの方が怖かった

次に漢方内科を受診して事の経緯を話し、漢方薬での治療に切り替えたのです

 

そこからの症状は

耳の中でシャンシャンと音がする

これは常に聞こえていました

静かだと余計に気になります

そして、指先や唇が急にピリッと

痛いわけではないけれどとても不愉快

それが一年ほど続きました

また薬を飲めば楽になる

でも怖くて飲めない

そんな毎日を過ごして、いつの間にかそのシャンビリがなくなりました

 

そして彼からの罵倒や嫌がらせも続いていましたが、段々と気にならなくなってきました

それでもお金の無心は続きます

キッパリ断るようになると、それもなくなっていきました

 

 

その7:復活と掌蹠膿疱症

 

くだらない男

ずっと離婚を希望をしていた嫁に同意し、彼も独り身になりました

なぜこんな男といつまでも一緒にいるんだろう?

自分に原因があるな

何故だろう、何なんだろう

彼と出会ってずいぶんと自分の人生が狂ってしまった、そう思うしか自分を慰める手段がありませんでした

 

その頃、一緒に住んでいた母親は妹と暮らすために札幌に

長男が高校進学のためわたしと同居

 

そして

次に新たに病気を発症

掌蹠膿疱症掌蹠膿疱症性骨関節炎』

女優の奈美悦子さんがメディアで公表してちょっと有名になりましたね

この関節炎の痛みが強くて、看護師の仕事が辛くなり始めました

相当強い痛み止めを飲みながらの看護師業務

痛む時は後ろを振り返ることもできない

歩くのも辛い

腕を上げられない

夜も痛みで眠れない

とうとう、一昨年の冬、看護師リタイアです

家庭どころか、仕事までなくしてしまいました

 

 

わたしの経歴。

 

 

その1:育った環境

 

わたしが育った家庭がですね、中流とか下流とか、そんなレベルではなくて

とにかく幼い頃から究極のビンボーだったんですよ

ウチは女ばかりの三姉妹、わたしは長女

親はずっと共働き

父は未だに何をしていたのかよくわかりませんが、ギャンブル大好き借金王

母は耳鼻科外来で看護助手をしておりました

そうです、父の作った借金を、母が子育てしながら働いてコツコツ返していたのです

そこは父と母の関係性だから別にいいんですけど(実はよくなかった)、とにかくビンボーだったのでバブリーな時代も食べるものがない!ってのを経験させてもらえました

 

父は勤めていた親戚の会社から独立開業

でも従業員と母に仕事を任せっぱなしで、そのうち仕事もせず雀荘に通い始め、気づけばあちこちに借金だらけ

とうとう三年で会社を潰しました、時間の問題だったけど

そんな時にわたしは高校卒業を控え

海外留学の夢も呆気なく崩れ

『何をしようかな…、就職したいところなんてない…』

と思っていたところに母のひと言

 

『看護師さんになったら?准看だと住み込みで学校に行けるみたいだよ?』

 

…ということで

なんの目標もなかったわたしは

母に勧められるまま病院を探し、准看の学校に入学したのでした

 

 

その2:准看護師から看護師へ

 

どうにかこうにか産婦人科に看護助手として住み込みで働き、朝6:30〜12:40まで仕事、13:30〜17:30まで学校

その間、行動は全て制限され監視され休みなし

全日休みは月に一度あるかないか

夜勤をやったり休日出勤をこなしながら

何とか2年で卒業して准看護師になりました

寮を出た時の開放感たらハンパなかったけど

スタッフも患者さんも女ばかりの職場

当然のように陰湿なイジメは多かったと思います

そしてスタッフ全員が准看護師

狭い世界で毎日同じことの繰り返し

だんだんと嫌気がさしてきました

『あのやろー、こんなにわたしを虐めおって!看護師になって絶対見返してやる!』

ってことで、お礼奉公(卒後2年働くと奨学金返還不要)を終えて、進学するために札幌の病院に転職して予備校に通い始めました

 

一年働きながら予備校で勉強して何とか進学

この学生時代こそ、わたしの人生で一番勉強して一番辛くて一番頑張った2年間だと思います(学校帰りにいつもススキノで飲んでたけど)

 

卒業して看護師資格を取得した後

6年お付き合いしていた男性と結婚して、転勤先の茨城県に移住しました

 

 

その3:子育てと家事と仕事の日々

 

結婚後、長男を出産

院内託児所のある病院で働きながら、次男出産

その後は子育てと両立しやすい職場を転々としながら長女が生まれ、自分の忙しさはマックスに!

三人育てながら仕事して家事やって…

あの時はほぼ気力で動いていました

寝る暇も自分の時間もない

もともと趣味がなかったからストレスをどう発散していいのかわからない

転勤先で親戚も知り合いもいなくて、夫婦二人で働きながら子育てをするってとても大変

夜勤も旦那さんに負担をかけるので訪問看護の仕事に変えました

仕事を辞めたくても、もう辞めることも出来ないところまで追い詰められていました

仕事を辞めたら子供たちの保育園を変えなければならない

何とか二人で働いてそこそこの生活が出来ているのに、仕事を辞めたら今の生活水準が下がってしまう

でも寝る暇ない、遊びにも行けない、ストレスはたまる一方

 

そこで、とうとう鬱を発症してしまったのです

 

 

その4:強制終了

 

 

ある朝、

小学校に通う長男と次男を送り出し

長女に朝ごはんを食べさせて

さて仕事に行こうか、と思ったら

急に椅子から立ち上がれなくなりました

椅子にお尻がくっ付いた感じと表現したら良いのでしょうか

しかも自分では全く気がついていませんでしたが、涙を流しながら長女にご飯を食べさせていたようなのです

それを見た主人が慌てて職場に電話

『今日精神科に連れて行くから休ませてくれ』と

自分でも驚きました

自分の感情すら感じられなくなっていたのです

 

ここから、長い闘病生活が始まりました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病弱ナース、看護師を辞める。

 

 初めまして

30年近く看護師を職業として生計を立てておりました、北海道在住『アラフィフバツイチ病弱ナース』のスズキリエと申します

なぜ、「生計を立てていた」と過去形なのか

まずそこから自分で整理したくてずらずらと書いて行こうと思います

 

これは闘病記でも、釣りでもございません

面倒な方は読まないでくださいね、長いから(笑

でも、看護師と患者の両方を体験できるって面白いことだと思うので

医者に言われるまま治療してるけど良くならない、とか

西洋医学サイコー!とか

風邪引いたら一番最初にするのが病院受診でしょ?とか

そんな風に現代医療に洗脳されている方は、一度真剣に読んでくださるとちょっと嬉しいです

 

 

わたしは看護師の仕事に誇りを持っています

それと同時に

現代の医療の在り方に違和感を感じています

 

ねえ、なんで癌になったら抗ガン剤するの?

ねえ、なんで死にそうな人に点滴とか酸素するの?

ねえ、なんで鬱って診断するの?

ねえ、その治療必要なの?

ねえ、そのクスリ本当に大丈夫?

 

患者は

あなたの実験材料でも収益のために存在してるわけでもないのよ?

 

本当に、言いたいことたくさんあるけど

わたしと生きているステージが違うんだから仕方ないよね〜

 

読んでくれた人に何か伝わればいいな

そんな風に思います